知らない町の豆腐屋で金色に輝く厚揚げを見つけた。ふむ、これを味噌汁に入れたらどうだろう、とひとつ買ってみる。受け取った袋の重さがその期待値を上げた。最近はいつも頭のどこかで味噌汁に良さそうな具を探している。ひとたび何かにハマると、自分の中で「つまり、これはこういうものなのだな」と答えを出すまで、独自の『研究』を繰り広げる。そうやって、一人でできる遊びが好きなのである。
昨日、熊本の温泉旅館に家族を招いた。自己満足だけど、治療も終わりひと区切りの御礼として企画した。球磨川を眺めて、温泉に浸かって、きちんとしたごはんを食べた。水風呂が好きなのだけど、わたしが水風呂に入るのは心臓の音を聴くのが目的なのである(次に瀬戸内の豊島に行くことがあれば、ボルタンスキーのプロジェクト『心臓の音アーカイブ』で自分の心臓の音を採りたい)。菩薩97が、3巡目のジェンガを崩壊させるなどしてとっとと夜が更けていった。22時前には寝た。
そんな贅沢な一日を過ごしながら、いい服を着て、いい家にすんで、いいものを食べて、いい車に乗って、最後は綺麗にこの世を去ることがよい人生なのだろうか、とぐるぐる考えた。こねくり回して答えが出ない。そう、答えを出すまで『研究』は続くんだ、祈りという行為を添えて。