ネパール後記 / by co cayu

帰国日のこと。

ディパック先生が黄色い※カタを首にかけてくれ、今回の仏画制作は正式に幕を閉じた。わたしとこの人の絆は時間をかけてとても強くしなやかなものになったな、と感じる。国籍も年齢も性別も違う、タマン族の絵師に英語で仏画を習うということ。効率を求めるだけならわざわざネパールで学ぶことはない。でも、自分のために情熱と手間ひまをかけたことは、自分を裏切らないとも知っている。

街にいてもそわそわして落ち着かないので、早々に空港へ向かうことにした。のだけども、こういうときに限って渋滞もなく、余韻に浸るまもなくゴールが近づいてくる。タクシーの窓からカトマンズの街を眺めていると何とも言えない気持ちになって、「すいません、いまからボウダに寄ることは出来る?」と運転手に伝えた。ボウダ、いわゆるボダナートは大きな仏塔が聳えるチベット仏教の聖地であり、チベット動乱後亡命してきた人々が多く居住するようになったエリアでもある。ネパールで一番好きな場所だけど、今回はとにかく巡礼に充てる時間がなく行けずじまいだった。「エアポートじゃなくて?」「ええ、ボウダナートに。最後にあの仏塔を見なきゃ。わたしはブッディストだから」「…ハハハ、きみはブッディストか。オーケーオーケー」運転手がハンドルを左に切った。タクシーのダッシュボードにあるマニ車が光る。そうかあなたもブッディストなんだ。

ボウダへの下り坂、これまで味わったことがないぐらいネパールを離れることへの寂しさが込み上げてくる。ゲートから仏塔が見えたとき、涙がぼろぼろと溢れてしまった。ああ、またここへ戻って参りました。「3分だけ待ってて」とタクシーを降り、路地を抜けて仏塔に近づき、手を合わせた。ありがとうございました。今生で果たすべき業をひとつ解消したような晴れやかな気持ちで、タクシーに戻る。「エアポートへ」

そこから空港に至るまでの道に、ヒンドゥー教の寺院・パシュパティナートがある。ネパール最大のシヴァ寺院であるここは、ヒンドゥー教徒以外は入ることができない。通り過ぎようというとき、ぼんやりした頭でふと、川沿いに火葬場があったなと上流に目をやると、チリチリと人を燃やしている炎や立ち昇る煙が見えた。写真家の藤原新也が「遠くから見ると、ニンゲンが燃えて出すひかりは、せいぜい六〇ワット三時間。」と言っていたの思い出す。今日も誰かが灰になった。人はいつか必ず死ぬ。会いたいときにはもう会えない。いつもそれを忘れずにいたい。愛するネパール、また必ず。

※カタ…チベットの文化で、旅立ちや祝福などのときに相手に贈る祝布

引用:藤原新也『メメント・モリ』