当方、好き嫌いは激しい割に警戒心はないので、素敵だなと思った人に声をかけることには抵抗がない。さて数ヶ月前の話をする。連日の雨で、すっかり湿りきった宮崎駅にわたしはいた。特急にちりんに乗って国東に帰ろうとしていたのである。見るからに風通しのよい宮崎駅であるが、屋根はあってもほぼ剥き出し、そんなホームに立つなり急に風が強くなって、頬や肩にバタタタと雨が叩きつけた。「うわ」と顔を上げたところ、隣で同じく雨を浴びた女性と目が合った。パッと見年上、髪は短く、小柄でシャンとした方だった。「これ、もう外にいるのと同じですね」「いや本当に」。
それで会話は終わるかに思われたけども、そのあと彼女がゴソゴソと荷物から取り出したアウターに目を奪われた。ノースフェイスの、紺色のアウター。ん?そのときわたしが着ているものと生地まで全く同じものである。えええ、これはすごい。「あの…服、同じですね」「え?ああ、本当ですね」彼女はこれちょうどいいんですよねえ、と言いながら雨避けに羽織った。
同じアウターを着て並んだわたしたちは、お互いどこから来てどこへ向かうのだとかの、他愛のない話をしているうちに電車が割って入ってなんとなく会話は終わった。同じ車両に乗り込んだ彼女は「じゃ、よい旅を」とわたしを通りすぎて後ろに座り、缶ビールを開けたプシ!という音を鳴らした。ああ、素敵な方だなぁと思った。
これで終わるご縁でもいいけど、またどこかで会えたらいいな。わたしは自分の「直感的な好き」を大切にしている。特にここ数年は外さないからである(修行の成果であると思いたい)。彼女が先に電車を降りるということが分かっていたので、手帳に一枚だけ挟んでいた自分の名刺を渡そう、と決めた。彼女が電車を降りるときに。そこから約1時間、ある駅に到達した。わたしの横を「お先です」と通り過ぎる彼女を追いかけ、「これも何かの縁なので、よかったら!」と電車の出口の前で名刺を渡した。まるで告白するようで、なかなかに緊張してしまった。
「無事帰れましたか?なんとも素敵な方だったなぁとホームでのお喋りを思い返しておりました」と後日メールをいただいた。4月からは東京に住むという彼女は、国東半島にある阿弥陀堂が素晴らしいかのお寺と同じ名前だった。ああ、阿弥陀様の仕業でしたか、となんだか可笑しくなる。手繰り寄せれば阿弥陀様、流されてみれば阿弥陀様の気配がそこにある。行く先々に阿弥陀様のご縁が用意されている「人生」と名の付いたこの道は、西方に続く白道のように思えてしまう。
先月、かねてから会ってみたかった方を訪ねて初めての街に行った。その方の口から、「西方浄土」「富貴寺」のキーワードが出たとき、またもや阿弥陀様の計らいかと思わず頬が緩んだ。阿弥陀様の声を妄想する、『安心せい』!