自分の信仰を選べる、というのはなんと恵まれたことかと思います。国や地域、そして生まれなどによって信仰が厳しく制限されることは珍しくなく、家族の反対があったり、女性は結婚を機に相手の家の信仰に入るケースもありますが、わたしはありがたくもそのいずれにも該当しておりません。
自分のことでいえば、一族の菩提寺は浄土真宗本願寺派です。母方の祖母の家は神道です。中学生のときに興味本位で参加した断食行は天台密教の単立寺院のもので、我が不動尊信仰の始まりはそこからです。産土神は八幡さんで、生まれた病院に一番近い神社はお稲荷さんです。仏画師としてのスタートは、チベット仏教の仏画に出会ったことからです。死の淵で一番拝んでいたのは真言宗宗祖の弘法大師さんと不動明王さんです。御嶽行者の師匠に出会ってからは神仏習合で行を教わり、土地柄から別府ではお地蔵さま、国東半島では八幡さまと観音さまを特に拝みました。絵師として信仰する神様は天宇受売命さまで、周南で毎朝お参りするのは八幡さまです。なにより、ここぞというときに現れるのは阿弥陀さま。今年の5月には岐阜のお寺さんでお狐さんに嫁ぎ…つらつらと書きましたが、なんと諸神諸仏が登場する人生かと思います。
そして今年になってようやく、自分で決めて、自分のタイミングで、信仰をこれと決めようと思えました。やっと機が熟した、と思いました。宗教はいらないという人もいますが、わたしのような破壊的な面がある人間には信仰という背骨が不可欠です。「衆生済度」が我が願いとなった今、余生の使い道は決まりました。
一族の信仰を離れて自分の信仰を選ぶということは、何かしらのお役目もあろうと思います。仏画師としてはもちろん宗派宗教を越えて神仏にご奉仕するのがお役目だと思っていますので引き続き身を正してやって参ります。
2024年を発心年度として、下半期も自分のやるべきことを。感謝