PASMO / by co cayu

「キミはいま仏教のどのステージにいるの?」

「わたし?ニルヴァーナだよ」

「すごいな…どんなチケットを使ってそこに?」

「PASMOだよ」(※関東のICカード乗車券)

「意外と簡単にいけそうだね」

「東京の駅で買えるよ」

イギリス人の友人とのやりとり。彼とは東京のゲストハウスで長らく寝食を共にした、もはや家族のようなもの。

恒例のジョーク混じりのやりとりのあと、「僕は生きていくためにSoto ZEN(曹洞禅)を学びたい。どうすればいい?」と彼の真っ直ぐな問いが届いた。さあ、どうすればいい?

仏教に限らず、宗教とは自分の身を正すための道標だと考えている。盲信的に身を捧げ、人生の解までも依存するのは違うし、教義を自分に都合よく解釈してもその渇望が尽きることはない。目に見えないものが何とかしてくれると期待して、他者と比較ばかりして何になろう。自分の人生を誰かに重ねて安心するなんて愚かで、だからといって比較して不安になる必要もない。

彼の言う曹洞宗のZENは、「只管打坐」といってひたすら座禅をする。答えなどない。正しい姿勢、静かな心、深い呼吸をしながら、そこにはいかなる思考もない。座禅によって自己を整え、自分という存在を明らかにすることが目的なのである。とはいえ彼もまた、学びの門を叩いた時点ですでに手にしているんだ。

なにをって、PASMOを。