※ご縁あって、あるところに妄想小説を寄稿しました。また形を変えて皆様にお目見えするかと思いますが、ひと足先にどうぞ!
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【豚汁】
「ねぇ、今日何時ぐらいになる?」
「あー…いや、分かんない。なんで?」
その強い語気で、洗面所にいる彼が髪にワックスと苛立ちを撫で付けていることが分かる。こういうときは会話を広げるべからず。
「いや、なんとなく」。
「ん〜多分遅いよ、先に寝てていいからね。鍵よろしく」
バタン!
行ってしまった。彼は『繁忙期』らしい。この頃終電で帰ってくることが多くなった。夕飯はいつもなに屋かの牛丼を食べているらしい。同棲を始めて三年目の、もう後には引けないムードに満ちた部屋を見渡す。
ねぇ、今日は記念日ですよお。
生憎こっちは予定がなく、仕事もむしろ閑散期。とはいえこのまま家でじっとしているのもいやだし、コーヒーでも飲みに行こうか。それとも電車に乗って、どこかへ行くのもいいけど。ひとりごとをリビングにまき散らしながら、とりあえずパーカーを羽織った。
外に出ると、雲ひとつない秋晴れの空が広がっている。触れた日差しも風も柔らかい。深呼吸、はぁ、大好きな季節がきた。なんてったって食べ物が美味しい。いも、くり、なんきん。問答無用に切ない秋は、ああいう、甘くてほくほくしたものに癒されたくなる。
わざわざどこかに出かけなくても、帰って豚汁でも作ろうかなぁ。さつま芋が入ってる、あの、口の中でほろっと崩れる感じのやつ。素朴な豚汁がなんだか、途端に優しい甘さを纏うやつ。生姜を多めに入れて、ああ、まるで豊穣の海。あとは、それにわざわざおにぎりでも握れば最高のごちそう…
「ただいまー」
彼の声でハッと目が覚めた。うっかり昼寝して、そのまま夜になっていたらしい。窓も全開にしたまま、ベランダの洗濯物がしおれている。
「おかえり、ごめん、寝てた…」
「全然、寝てていいのに。俺も今日思いがけず早く終われたからさー。あっ!もしかしてごはんある?」
彼が饒舌なときは、やたら気を遣っているときか、なにかを隠しているときである。どっちだろう、これは。
「…豚汁あるよ、さつま芋入りの」
「うわぁー、最高じゃん!」
彼の声の音域が上がった。不機嫌も上機嫌も、とても分かりやすい人なのだ。
「あと、おかずは作らなかったけど、新米のおにぎりがあるよ」
「なにそれ、完璧だなぁ!でもね〜俺もケーキ買ってきてんだ〜、ジャーン!記念日!」
一緒に過ごすうちにすっかり角がとれたわたしたちは、飾らない日常という贅沢な時間の中にいるんだと気づく。秋の夜に食べる豚汁みたいに、全部一緒くたに煮崩れるやつ。芯からあたたかくなれる、最高のやつ。